太宰府市って

遠く離れた友達に、「太宰府市ってどんなところ?」と聞かれたら何て答えるだろう?

●あくまでも私個人の意見です。


Q.太宰府市って、どこらへんにあると?

 福岡市(博多駅や福岡空港)から、電車や車で(ざっくりと)30分くらいのところ。

●太宰府市のホームページには「福岡市の南東約16キロメートル」と書いてあります。

Q.どんな形をしとると? 

 犬のよう。右向きの犬が前足を上げて、甘えてる感じ。つまり、ちょっといびつ。

●そんなこと聞かれたこともないですし、聞かれることもないと思うけど、Google mapで見ていつもそう感じるので、あえて。そう見えません?

Q.人口は?

 約7.2万人 (世帯数は3.1万。2017/12/31現在)

●小さな市です。福岡県内の市町村別人口は福岡県のホームページでご確認ください。

Q.どんな人が住んどると?

 太宰府市は福岡都市圏(下図)に位置しているので、福岡市内勤務の人も多いのではないでしょうか。住宅地開発が進んだ時期があるので、昔から住んでる人と、家を購入したりして移り住んだ人が混在しています。

●市内でも地域によって、そのバランスには差があると思います。太宰府天満宮周辺はむか~しから住んでる人が多いと思いますし、県道31号線の西側や、日本経済大学を南に進んだ左側(東側)の辺りの住宅地は、市外や県外出身の方が多いと思います。

Q.気候は?

 福岡市内に比べ、冬は2度くらい低く、夏は最高気温が高くなりがちで、よく全国ニュースに名前が出ます。年に1~2回くらい、雪が積もります。

●福岡は「九州なので暖かい」というイメージを持っている方(特に関東の方)が多いと思いますが、日本海に面しているので、意外と冬は寒いのです。私も福岡に住んで最初の冬に驚きました。

Q.住むなら、太宰府市のどの辺りがお勧め?

 西鉄下大利駅か西鉄二日市駅から近いか、この2つの駅からバスの便のよいところがオススメ。

●福岡の電車といえば、JRと西鉄です。福岡市南部~太宰府市の南隣の筑紫野市にかけては、西鉄とJRが平行して走っています。なので、この沿線に住めばどちらも利用しやすくて便利と思うと思いますが、福岡のバスは「西鉄バス」がほぼ独占している関係上、JRの駅には西鉄バスが停まらない駅がたくさんあります。なので、JRの駅にバスが停まるかどうかもチェックしておく必要があります。

●西鉄電車は、福岡市の中心繁華街「天神」から南に向けて走っています。西鉄下大利駅なら急行が停まるし、二日市駅なら急行も特急も停まります。(ちなみに「西鉄下大利駅」は北隣の大野城市にあり、「西鉄二日市駅」は太宰府市と南隣の筑紫野市の両方にまたがっています。)

●ただし、勤務先の最寄り駅が、普通電車しか停まらないのなら、普通電車しか停まらない駅を中心に考えてもいいでしょうし、勤務先がJR博多駅周辺だというならJR沿線でもよいと思います。

(私が博多駅の辺りに通勤するんだったら、西鉄薬院駅から100円バス(10分弱)に乗り換えて、博多駅に通勤するルートを選ぶかな。)

●「自家用車で動くから大丈夫」という方でも、やっぱり公共交通機関は確保しておいたほうがよいと思います。

(いつか年をとってきて車に乗らなくなる日もくるでしょうし、子どもの送迎に親がつきっきりというのも疲れますから。)

●太宰府天満宮辺り(西鉄太宰府駅や西鉄五条駅周辺)は、(年末年始に限らず)交通渋滞がひどいので、実家があるならともかく新たに住むにはお勧めしません。

●その他、スーパーが近くにあるかどうか、暗くなってから道が明るいかなど、住居選びの基準はどこも同じです。

Q.そもそも、太宰府市の歴史は?

 1889年(明治22年)=太宰府・北谷・内山の3村が合併して太宰府村に、坂本・水城・国分・

     観世音寺・通古賀・片野・大佐野・向佐野・吉松の9村が合併して水城村となる。

 1892年(明治25年)=太宰府村が、太宰府町となる。

 1955年(昭和30年)=太宰府町と水城村が合併し、太宰府町となる

 1982年(昭和57年)=太宰府市市制が施行

 太宰府市になって、わずか35年なんですね。

Q.もっと古い歴史は?

 600年代=九州全体を管轄する「大宰府」(おおみこともちのつかさ)という大きな役所が置かれた。

 900年代=菅原道真が大宰府に左遷後に死去。

     道真の墓所の上に廟(その後、社殿)を建立。これが後の太宰府天満宮。

 1158年(保元3年)=平清盛が大宰大弐になる。実際には赴任せず。

 1166年(永万2年)=平頼盛(清盛の弟)が大宰大弐になり、大宰府に赴任。

 1183年=治承・寿永の乱で平氏が京を追われる。家臣の平貞能が、平重盛(清盛の嫡男)の墓を

     源氏に荒らされないよう掘り起こし、遺骨を持って京を脱出。

     その後、貞能は大宰府に重盛の骨を埋葬したのではといわれていて「平重盛の墓」があり、

     今も地元の方によって守られています。

 1584年(天正12年)=九州制覇を目指す薩摩の島津と、大友宗麟の家臣・高橋紹運が戦った

     「岩屋城の戦い」の舞台となった。

 1858年(安政5年)=「安政の大獄」で追われる身となった月照上人とともに京都を脱出した西郷隆盛が、

     薩摩(鹿児島)に逃れる途中、薩摩藩の定宿だった「松屋」に宿泊。